解放について – グルジェフ(パート2) – 意識的努力

アサフ・ブレーバーマン, カリフォルニア

新奇さと日常性

新奇さにあふれた経験をするとき、私たちは意識的に覚醒することができます。ピョートル・ウスペンスキーは、自己想起について個人的に行った最初の実験でこのことを確証していました。ウスペンスキーは、生活の中で自分が折にふれて自己想起していたことに気づいていました。しかし、その自己想起は不慮に起こり、まれにしか生じない状態であり、意図的に起こせるものではありませんでした。

自己想起の瞬間はまれにではあるが生活の中で確かに起こっていた。… それらは、たとえば旅行中に新奇で思いもかけない環境、新しい場所で新しい人々に囲まれたときにやってきた。人が突然周りを見回して、「なんて奇妙な!私がこの場所にいるなんて」とつぶやくときに起こるのである。(ピョートル・ウスペンスキー)

解放 - グルジェフ新奇な体験に人を目覚めさせる力があることに気づくと、ことによれば、たんに意識とは刺激としての外的変化を体験できるかどうかの問題に帰すると思うかもしれません。ところが、どれほど新奇な体験をしても、意識的な覚醒を望むことはできないでしょう。なぜなら、いかにそうした努力を試みても、日常生活はまたたく間におきまりのパターン、つまり、朝起床し、洗顔し、身じたくを整え、朝食をすませて、仕事をする、といった型どおりの流れに戻ってしまうからです。

では、新奇な体験なしに自己想起をもたらすには一体どうすればよいのでしょうか?

ウスペンスキーがゲオルギイ・グルジェフから自己想起を学んだときに直面した困難はまさにこの問題でした。これは、自己意識を目指す道にひとたび足を踏みいれた者であれば、誰でも直面する課題でもあります。

意識的な努力 – グルジェフ

外的な意味で新しさの体験が生じるかどうかは、多くの場合に私たちの力では左右できません。そのため、第四の道には意識的に自己想起を実現するために役立つツールがあります。これらのツールを使うことで、ある瞬間に起こる自分の眠りの本質を理解し、ふさわしい意識的努力によって眠りから脱出できるのです。

グルジェフが強調していたのはたんなる努力ではなく「意識的な努力」でした。つまり、それまで偶発的に起きていたある結果を、今や意識的に実現しなければならないのです。意識的な努力が意味しているのは賢い努力であり、また注意力の意図的な行使でもあります。まさにこうした特質こそが、外的に起こるにすぎない新奇な体験に欠けているものなのです。そのため今月のトピックは、この精神にそって「意識的努力」に絞ってみたいと思います。

大いなる出立

意識的努力 - グルジェフではインスピレーションの源泉として、王子シッダールタの大いなる出立の説話に戻ってみることにしましょう。(先月の導入部としての投稿はこちらを参照: 解放について – グルジェフ(パート1)- 認識

王宮生活に自分が幽閉されていた事実を悟ったとき、シッダールタの心には出家への念願が生まれました。私たちの解釈によれば、シッダールタの王宮とは「眠り」を象徴しており、その出家への念願は「意識的な覚醒」への念願を、また出家というシッダールタの行為はその方向にそった「意識的努力」を象徴しています。

意識的努力 - グルジェフ二、三世紀に制作されたこの浮彫彫刻は、シッダールタが出家する姿を表現しています。王子は深い闇夜に愛馬カンタカに乗り、従者チャンナとともに父王の城市の大門へと進んでいきました。門を通りぬけ、自由へ向けて出立しようとしたのです。この浮彫では、まさに出門しようとするシッダールタを神々が取り囲み、畏敬の念をこめて彼を見つめています。

この浮彫は「大いなる出立」に重要なニュアンスをそえています。シッダールタの愛馬は、後にした旧い世界を象徴した二次元の平面を物理的に突きぬけ、新たな次元へと入っていきます。

新たなる次元

意識的努力の瞬間には新たな次元がつけ加えられます。そのとき、私たちは通常の体験を超えた何ものかを経験します。私たちは目覚めるのです。

そこで今回は、意識的努力の体験について投稿者に分かち合ってもらうことにしましょう。すなわち、あたかも二次元に閉ざされた眠りの世界をいかに突破できたのか?それはいかなる性質の努力だったのか?また、直面した状況でその努力がどのように効果をもたらしたのか?さらには、その努力がいかなる新しい次元へと自己を高めていったのか?こうした観点について語ってもらうことにしましょう。

もし解放が可能だとすれば、それは大きな骨折りと大きな努力の結果としてのみ、そしてとりわけ明確な目的へと向けた意識的な努力の結果としてのみ可能になる。(ゲオルギイ・グルジェフ)