視覚芸術について

Gurdjieff-Wei-Dynasty

視覚芸術について - グルジェフ

ひとつのイメージが伝えるメッセージは幾千もの言葉に匹敵する。だが、言葉がゆっくりとそのメッセージを伝えるのに対して、イメージは瞬時に伝える。明晰な知覚が生じる瞬間に、あるイメージは数時間の読書によって初めて伝えられる情報を一瞬で印象づけることができる。

本のように読むことのできる神々の像、種々の神話的存在の像がある。ただしそれらは知性ではなく感情で読むのである。それもそうした像が十分に精巧だとすればの話である。(ゲオルギイ・グルジェフ)

感情について - グルジェフ

感情センターを備えさせる

グルジェフ-魏-仏陀

仏陀像 – 魏王朝

グルジェフは、芸術から恩恵を受けるには十分に発達した感情センターが必要であると観察していた。

感情センターは、身体が持つ四つの低次センター(感情、運動、本能、知性センター)すべての中で最もすばやく機能するセンターである。感情センターの知覚は瞬時に生じる。私たちは、部屋に入るやいなや、人々が疲れているか、喜んでいるか、それとも不穏なムードであるかを感じとる。私たちは、誰かが自分と一緒にいて喜んでいるか不満であるか、自分を信じているか、愛しているかそれとも恐れているのかを瞬時に感じとるのである。

もし、この感情的な知覚のスピードが客観的芸術に向けられるなら、ある彫像は即座に私たちの存在の奥底にある琴線に触れることだろう。

しかし、感情センターは通常十分な滋養を受けとっておらず、それが持つ本来のスピードで機能できない状態にある。通常の生において、その精妙なエネルギーは否定的感情という形で無駄に漏出している。そのため、感情センターには粗悪な燃料しか残されていない。それはまるで、精製されていないガソリンで走行するスポーツカーのようなものである。

眠りと覚醒との間にあるギャップを埋めるには、感情センターをその本来の速さまで高めなければならない。否定的感情を表出しないよう努めるワークは、適切な感情的知覚を可能にする土台となる。これによって、感情はより高次の形の滋養、すなわち高次センターに近づくための精妙な燃料を受けとる準備をすることができる。

客観的芸術という感情的な滋養

客観的芸術とはそうした感情センターへの滋養分である。客観的芸術はそれを見つめる者に変容をもたらす可能性を秘めている。グルジェフがその旅行で観察したように、客観的芸術は多くの智慧をもたらす。が、それは言葉によるものではない。それは沈黙の内に伝えられるエネルギーであり、新鮮なインスピレーションをもたらす力強い呼吸なのである。

リアリティは瞬間的なものである。リアリティの内へと浸透してゆくには、言葉を使う時間の余裕はない。それゆえ、幾千の言葉にも勝るイメージの強みはその伝達の速さにある。言葉は(すべての低次センターで最も遅い)知性センターに語りかけるが、それに対してイメージは(すべての低次センターで最も速い)感情センターに語りかける。客観的芸術は、それを見る者をその瞬間に「存在」させる。

言い換えるなら、客観的芸術は人間内面の低次の世界と高次の世界を橋わたしすることで、感情センターを高次センターへと変容するのである。

中央アジアを旅しているとき、ヒンドゥークシュの山麓にある砂漠で私たちは奇妙な像を見つけた。最初は何か古代の神か悪魔だと思い、ただ好奇心をそそるような印象しか受けなかった。ところが、しばらくするうちに私たちは、この像には多くのもの、すなわち巨大で完全で複雑な宇宙論の体系が秘められていることを感じはじめていた。(ゲオルギイ・グルジェフ)

知的芸術について - グルジェフ

グルジェフ-菩薩

菩薩像 – 中国、隋王朝

中国に見られる早期の仏像はこの効果を生み出すことを目的としていた。見事に彫り出された菩薩像は、仏教寺院を訪れる参拝者を迎え入れた。そうした彫像は生命なき石で造られていながらも、驚くほど生き生きとしていた。まるでそれらは息づいており、参拝者に気づいて直接出会い、歓迎しているかのようであった。

寺院の参拝者 – たいていは長い旅路の果てにたどり着いた巡礼者を迎え入れたのは、静謐さと意識を心へと伝える深遠な視覚的表現であった。もし人が立ち止まってその印象を内面深く受けとり、しかもその準備があれば、そのイメージは印象オクターブのショックとなってその人を現実へと覚醒させることができる。

このページで紹介している菩薩像をよく見てみよう。これらの像は、智慧、慈悲、気づき、自足、集中、しなやかさなど、悟りがもつ数多くの特徴を一瞬のうちに描き出している。これらの特徴を言葉で説明するには一冊の本が必要となるだろう。この彫刻家は、ダンマパーダ(法句経)の著者が文章で伝えたものを石で表現したのである。だが、この像は視覚芸術であるため、準備のできた心であればそのメッセージは瞬時に届くのである。

客観的芸術が究極的に目指すのは、客観的な人間を忠実に映し出すことである。それは人間のありのままの姿ばかりでなく、彼が成りうる存在をも映し出すのである。

同様の中国仏教美術からインスピレーションを受けた動画: グルジェフ – “気づき” と “意識” の違い

その像の全体にわたって偶然のもの、意味のないものは何一つなかった。私たちは徐々にこの像を造った人々の目的を理解していった… あれこそまさしく芸術であった!(ゲオルギイ・グルジェフ)