ロドニー・コリン

ロドニー・コリンロドニー・コリン(1909年4月26日~1956年5月3日)は、第四の道の伝統に参入した著作家、思想家であった。コリンに第四の道を伝えたのは、最愛の師であり、よき助言者でもあった晩年のP.D. ウスペンスキーである。第四の道のワークに出会う前、コリンは英国のブライトンで成長し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学位を取得していた。そして卒業後は英国国勢調査局で勤務しながら、著作家としてさまざまな出版物に寄稿していた。

コリンの思索と理解の視野は、途方もなく巨大な範囲におよんでおり、それはまた多様な観点を一つにまとめあげるものであった。その心に抱いていた一つのイメージとは、技術と道徳という二つの分野で人類が成しとげた発達もふくめて、一定の法則性にそって世界史に現れた文明間のつながりであった。またその時間論や、古代の神話と芸術の解釈における独特な観点も並はずれたものであった。当時の最新の科学と古代の智慧を統合するという、師ウスペンスキーの目標を実現するために、コリンは多くの仕事に従っていた。そしてこの統合のプロセスについて、法則と事実、あるいは演繹推理と帰納推理の相違および関連性という観点から考察をすすめていたのである。

ロドニー・コリンは1956年にペルーのクスコで世を去った。その当時、彼と生徒たちはこの地を訪れて出版事業や劇場活動、南米大陸でのスクールの確立に取りくんでいた。南米こそがきたるべき精神文明の発祥地だと信じていたのである。コリンの業績は、『天体の影響の理論』、『永遠の生命の理論』、また残された備忘録と書簡をもとにして没後に出版された『意識的調和の理論』など、知的アイデアにあふれた代表作にひきつがれている。

自己想起のトライアドについて – ロドニー・コリン

コリンは第四の道の師たちに共通した、実践と実利を重んじる精神を受けついでいた。彼は優れた思想家であり、また理論と哲学の分野にも精通していたが、科学や数学といった知識であれ、自らが提示する知識のあらゆる側面を忠実に「自己に対するワーク」という観点から語っていた。見出した知識とワークとのこうした結びつきにおいて、第四の道の根本原理にとってコリンの重要な貢献となったのは、自己想起の三つ組(トライアド)という考え方である。グルジェフが伝えた教えによれば、宇宙には「三の法則」と「七の法則」という二つの普遍的法則が存在しており、あらゆる現象は、それが生起、進展する際にこれら二つの法則にしたがっている。そして、三の法則によれば、宇宙で生じるあらゆる現象は〈能動的〉、〈受動的〉、〈中和的〉という少なくとも三つの力で構成されている必要がある。

魅惑-注意力の分割-自己想起

第四の道の教えの核心となる修練、すなわち〈自己想起〉という意識状態は、明確なある精神状態として存在している。そのため、三の法則によれば、自己想起の状態も同様に三つの部分から成っていなければならない。ところが、グルジェフはついにこの点について系統的に語ることはなかった。この問題についてコリンが究明したのは、もし自分とまわりの環境に注意力を等分する〈注意力の分割〉の努力が自己想起の特徴だとすれば、その瞬間に自分と周囲の環境という二つの対象を観察する〈第三の力〉が必要だ、という事実であった。コリンはこの第三の力を「神」と呼び、太陽を象徴としてそれを表現して、この三つの力の組み合わせを「聖なる三位一体」になぞらえていた。

コリンはモーリス・ニコルと同様に、第四の道のシステムに見られる多くの概念をユダヤ・キリスト教の知識体系に精緻かつ明瞭に結びつけていた。これはまた、彼自身の文化背景が西洋に固有の宗教的伝統であったこと、また、かつてグルジェフが別の定義として〈第四の道〉を〈秘教的キリスト教〉と呼んでいた経緯にもよるものである。

エニアグラムについて – ロドニー・コリン

エニアグラム現代の西欧世界にグルジェフが紹介した「エニアグラム」あるいは九宮図(エニア=九、グラム=図)と呼ばれる象徴は、1~9までの数字を円周沿いに配置して三の法則と七の法則を表現した幾何図形であり、これらの数の内的関係とその数列を示している。三の法則によれば、あらゆる出来事は三つの異なる力の組み合わせである。また、七の法則(あるいはオクターヴの法則)は、時間の経過のなかであらゆる出来事(運動)の進行を規定している。三の法則が内包しているのは、和声を生じさせる「三和音(トライアド)」についての正確な知識であり、それに対して七の法則が内包しているのは、あらゆる現象が特定の音で内的に振動しながら上昇・下降し、オクターブを形成するという概念である。

この意味で古代ギリシアの哲学者プラトンもまた、惑星や人間の魂の問題について語るときに、こうした音楽上の概念に触れている。音階とは本来、人間が観測した惑星運動を一定の式で表現したものである。グルジェフは、このエニアグラムを深く理解すれば宇宙の秘密を解きあかすことができ、この図の線と点の関係にはあらゆる知識が秘められている、と語っていた。コリンはウスペンスキーと同様に、人間の成長、文明の発展、惑星と太陽の関係、時間の本質といった多くの自然現象をこのエニアグラムを使って表現、説明していた。

この象徴に深く秘められた数の関係がしめす関連性は、現代科学の観点では不可解とされている物質の流れの断絶と経過について説明し、またその解決に利用できる、というのがコリンの信念であった。実際に彼が試みていたのは、一見たがいに無関係とされたり、あるいは逆に奇妙なほど互いに関連性の高い時空内の出来事を結びづける、隠された多様な和音を示すことであった。こうして、高次元や四次元という尺度(スケール)から、相対性や世界観を理解する方法を提示していたのである。

対数尺について – ロドニー・コリン

また、当時のコリンが先取りしていたのは、有機的なプロセスと無機的なプロセスが進む速度の理解とその結果の予測のために対数計算や指数計算を採用するという、きたるべき時代の動向であった。彼は、人体と認識が成長してゆく段階を対数尺をつかって図表で綿密に示し、人間の一生が線形に進展するという、一般に受け入れられた観点を修正しようと試みていた。

人体の発生・成長のプロセスは当初は驚くべき速度で始まるが、その速度は次第に落ちてゆき、徐々により精妙で知的な機能に重点をおいた発達がそれに取って代わってゆく。発生・成長の段階はそれぞれ直前の段階にもとづいて進行し、直前の段階の完了と、力やエネルギーの解放がうまく進行するかどうかで決定される。外傷や栄養不足によって機能が低下し、プロセスの抑制や阻止が起こると、高次の機能の可能性は失われてしまう。これは、損傷して実を結べなくなった種子や、ノイズや矛盾が過剰になって静寂さを感知できなくなり、落ちつきを失った知性にたとえることができるだろう。

細胞界-分子界-電子界

コリンは、こうした時間の異なる尺度同士の関係を、二つの無限記号(∞)を中点でつないでできた三次元図形に配置、表現していた。この図形では、それぞれの円がそれ自体の一回分の進行に含まれている先行する円の時間全体を示している。一つの円から次の円に移行すると、前の円の活動が閉ざされて固定されることになるが、これは、液体形態である水が凝固点でまさに氷に結晶化するのと同じことである。

鉱物界、細胞界、分子界、電子界について – ロドニー・コリン

コリンはこうした異なる時間の尺度ごとに、その速度と寿命の長さに応じて〈鉱物界〉、〈細胞界〉、〈分子界〉、〈電子界〉という名称をあたえ、科学用語を意味ある仕方で一つの体系にまとめようとしていた。さらに、人体のプロセスを鉱物界と細胞界での成長に対応させ、一方では認識や精神の発展を分子界と電子界に対応させていた。科学と宗教の結合というテーマが色濃く見られるその著作では、こうした多様な物質上の区別を、死後の魂を待ちうける審判、楽園、天国、地獄への遍歴にたとえるアナロジーが使われている。ミクロコスモス(小宇宙)としての人間は、厳密にはこうした場所や密度のレベルをすべて自分の内面で知ることができる。コリンはウスペンスキーと同様に、我々の内なる環境と生態系のより深いレベルで行う、意識的な発達のための実践手法の価値を常に強調していた。

六つのプロセスについて – ロドニー・コリン

ウスペンスキーが提唱した六次元の宇宙モデル、および〈創造の光〉の法則から導かれた理論として、コリンはそれぞれの完全なコスモスが内包する六つの基本プロセスについて説明している。また、人間の特定の状況との具体的なかかわりを考慮しながら、太陽、全惑星、地球、あるいは〈生〉、〈形式〉、〈物質〉のさまざまな配列として、こうした各プロセスを整理していた。ウスペンスキーは最晩年に、あらゆる行為を分類できるこうした六種の活動についてすでに説明を始めていた。だがコリンはこのメタファーをさらにはるかに推し進め、これら六種のプロセスの意味をそれぞれ詳しく検討し、微妙なニュアンスの違いを明らかにする例を数多く示している。

内分泌腺と惑星的タイプについて – ロドニー・コリン

コリンは、中世の錬金術と医術、さらには内分泌学者ルイ・ベルマン博士の著作からもインスピレーションを受けており、太陽系内の特定の惑星による影響を、人体の内分泌腺の働きに結びつけていた。人間のさまざまなタイプ別に重心として発現する特徴を、腺機能の明確な機能に割り当てることで、古典的な六つの惑星的タイプ、さらにそれが細分化したタイプという考え方に達していたのである。この教えは、第四の道のスクールの特徴となる、課題を追求するタイプのグループダイナミクスできわめて有効になる可能性を秘めている。

第四の道について – ロドニー・コリン

第四の道のスクールは、伝統的な三つの道のスクールと同様にこれまでにも存在してきたし、今もやはり存在している。だが、第四の道のスクールは見つけるのがはるかに困難である。第四の道のスクールは他の三つの道とは異なり、ある一つの修練、一つの手法、一つの課題、あるいは一つの名称だけでは識別できないからだ。第四の道のスクールは、その同時代と条件に適した新たな手法や修練をたえず生み出しており、ある一つの課題を達成すると別の課題に移り変わってゆき、多くの場合そのプロセスで自らの名称や外見そのものを変えてしまう。
ゴシック式大聖堂の設計と建築が行われた背景で第四の道のスクールが活動していたのは間違いない。ただ、彼らは特別な名称をもたず、当時の宗教組織にとけ込んで姿を隠していた。第四の道のスクールは当時、ときにはクリュニー修道院に擁護され、ときにはフリーメーソンの擁護を受けていた。17世紀になると、これに類した第四の道のスクールは新しい科学、医学上の研究に貢献し、ときには一つの名称で、ときには別の名称で呼ばれつつ活動を続けていた。18世紀になると、再び第四の道のスクールはギリシアとエジプトの考古学的な発見の成果を多く取り入れ、自らの理念や組織の外貌として利用していった。また同時に、その指導者たちの幾人かは、当時流行していた魔術師や催眠術師の外貌をまとい、彼らが相手にしていたより高級志向の洗練された社交サークルへとさらに浸透していったのである。
第四の道では、性への尊重、そして性への肯定的な態度が根本的に必要である。ウスペンスキーは、思考であれ感情であれ、否定的なものが性に触れることを一切許してはならず、高次の発達はすべて正常な性から始まると主張していた。
第四の道では、人々は自らの〈家〉で幻滅し、真理を見つけるために勇敢に外へ飛び出し、そこでもやはり幻滅を味わい、その上で再び家に帰って光をもたらす必要がある。
第四の道で真のワークを始めた者はその道から立ち去ることはできない。道の途上で多少とも停滞する期間はあるかもしれない。だが、道から立ち去ることはできないのだ。というのも、第四の道は最も完全な真理だからである。また、第四の道の修練によって、我々は宗教の最も深い側面へと突き進んでゆくことができる。第四の道はあらゆる真理を調停して生のあらゆる側面を調和させる道である。心理学、科学、芸術、あるいは現実的な個人の生のあらゆる問題について、第四の道が意識的な理解にいたる方法を示すのだとすれば、それは人間のマインドにとって最高の願望である〈宗教の理解〉へと導く方法をも示すのではないだろうか?