モーリス・ニコル

モーリス・ニコル第四の道に関連する数多くの文献の中で、モーリス・ニコル博士(1884年7月19日~1953年8月30日 )の著作はおそらく最も完全でととのった、またこう言ってよければ、ほとんど「計算の成り立つ」表現だといえるだろう。「第四の道」 – この名称は本来、グルジェフ個人と近東を源泉として収集された教えであるこの 「システム」にウスペンスキーが与えたものだが、ニコルがおりなす概念のネットワークでは全体が明快に構成されており、それに完全にふさわしい内容となっている

ニコルの教えは真のシステムを表現するものであり、そこでは言葉や数字、象徴を含めたあらゆる観念が相互に結びつき、ほとんど「計算によって互いに置きかえられる」ほどの水準に達している。これによってできあがったのは、大いなる重みと意義をもつ意識拡大のための道具であり、それを学ぶ者にとっては、自分の知覚に関わる知性をまったく新たなものにし、再生させる可能性を秘めているのである。

理解について – モーリス・ニコル

グルジェフ、ウスペンスキー、コリンなど、最も多作であった〈第四の道〉の執筆家たちを見わたしても、ニコル博士の著作は驚くべきレベルで〈第四の道〉を消化しきっており、また秘教思想を幅広く理解できるようまとめた統合体として、比類ない質をもち、他を抜きん出ている。「人間…とは、その人がもつ理解のことだ」という彼の有名な言葉は、その知的活動を遺した著作でエネルギッシュな輝きをはなち、表現されている。

ウスペンスキーの観点によれば、理解とは、さらには知識そのものですら、ある特定の概念にふさわしい場所を、入り組んだ概念構造の中に見つけることを意味していた。そして、この定義を最も正確に体現していたのが、まさにニコルだと言えるだろう。第四の道というシステムの手法上の言語をあやつるそのアプローチは、厳密かつ首尾一貫したものであった。しかもその手腕は、科学、宗教、哲学といった分野の用語を自身の語彙へと滑らかかつ巧みに取り入れており、独自のあらゆる他の思想概念によって、そうした用語の理解や、用語同士の相互のやりとりが可能になる、そうした水準にまで達していた。これは、概念がおりなすネットワークのあらゆる結節点に新たな光を投げかけつつも、またその意味を拡大してゆくものでもあった。これこそがニコルが残した優れた業績 – 人間を最適な心理的状態へと導くための緻密な手段 – であった。

〈意味〉について – モーリス・ニコル

人間の内なる生のあらゆる領域において「意味」が必要となる核心の場所、ニコルはその心理的な領域について精密かつ鋭い研究を行っている。長年にわたり、ニコルはロンドンで一流の神経科医、また英国で最も優秀な心理学者の一人としても知られていた。「意味」に対する人間の欲求を根本的かつ最も重要だとみなすその際立った認識、また「意味の欠如」という病に与えた見事な定義は、遺作に見られるニコルの思索の特徴となっており、またそれに一貫したものである。

ニコルはこう書きのこしている。「〈神〉という言葉が気に入らなければ、その代わりに〈意味〉という言葉を使えばよい。〈神〉という言葉に心を閉ざしてしまう人々がいる。だが、〈意味〉という言葉を使えばそんなことはありえない。この言葉は心をひらくのである」。

またニコルは、「印象という食物」というシステムの概念を慎重に展開して把握し、その大きな重要性を強調しながらも、この概念を、生活の質と向上に関する通俗的な用語へと容易に移しかえることが可能な概念へと変換していた。〈意味〉についてのニコルの理想はまた、そのほか多くの代償的な成果にくわえて、聖書における法の文言と精神のちがい、意味論と解釈学の哲学分野、秘教的知識や内的な知識の使用が指ししめす意味など、人間をとおして伝達される、社会的に重要な思想因子(ミーム)にも光をあてており、それらを十分に仲立ちしている。

非暴力について – モーリス・ニコル

モーリス・ニコルは、ケンブリッジ大学で科学教育をうけ、聖バーソロミュー王立病院で医学学位を取得した稀代の知識人であった。また、情け深く、親切で寛大な心の持ち主であり、その人生で出会った人々から心の高邁さを認められた人物でもあった。当時、心理的な変容を目的としてグルジェフのシステムを伝えた教師たちは過酷な手法を使って教えることで知られていたが、たしかにニコルただ一人は、比較的にそうした批判をまぬがれているのである。

あらゆる形の心理的、物理的な意味で、ニコルが暴力の完全な排除と根絶を最高の目的論的な方向性、そして真正の秘教的ワークとして位置づけていたのは偶然ではなかった。このことは、あらゆる否定的感情の非表出と変容というウスペンスキーが課した課題から生じる重要な結論として理解されていたのである。彼の日記から分かるように、ニコルは当時のヒトラー統治下のドイツとの紛争をふくめた戦争の原因が、人間集団内の、そして人間集団同士にみられる理解の欠如にあると信じていた。「汝殺すなかれ」という聖書の戒めは厳密かつ普遍的に行われるべきであり、たんなる外的な意味ばかりでなく、内なる心理領域にも用いられるべきものであった。ニコルは、内なる思考の世界において、他者に対する人間の習慣的な思考態度を正しい態度へと変容していくために、マインドフルネスと深い同情心の大切さをくりかえし強調していた。

秘教的キリスト教について – モーリス・ニコル

第四の道の教えの定義を求められたときに、グルジェフがそれを「秘教的キリスト教と見なしてもよい」と語った事実はよく知られている。こうしたワークの解釈にあきらかに共鳴していたニコルは、アブラハムを由来とするユダヤ・キリスト教をこのシステムの観点から完全に説明し、翻訳する事業に専念しようとしていた。だがグルジェフは、ニコル個人への課題としてその意図を差し止めていたのである。

ウスペンスキーがキリスト教の「主の祈り」を見事に解き明かし、より完全なその意味と理解に達していたのと同様に、ニコルもまた、十戒、山上の垂訓、黙示録、福音書でキリストが語った寓話、さらにはロトや出エジプト、創世などのヘブライ語聖書の物語について、その著作『標的(The Mark)』と『新しき人(The New Man)』で研究成果を書きのこしている。多くの人々にとって、さらには西洋の宗教環境を背景としていない人々にとってすら、その教えは、幼少期に教えられた伝統や寓話の意味をあきらかにし、理解を深める上で大変有益なものである。

夢の仕事について – モーリス・ニコル

『グルジェフとウスペンスキーの教えに関する心理学的注釈』の多くの内容をみれば、ニコルが夢分析の技法に熟達していたのはあきらかである。おそらくこの技法は、彼が尊敬し、その生涯の友であり続けたカール・グスタフ・ユング博士との交際から学んで以来養っていた、ユング派精神分析家としてのニコルの特殊な能力であった。生徒たち、そして自分がみた夢から彼が引き出した暴力などのテーマで検討される意味レベルの深さには目をみはらせるものがあり、実はニコルがきわめてまれな存在であって、これまでその能力を一般に十分認知されていなかったという印象すら与えて、読者を驚かせるほどである。

早期に執筆した『夢の心理学』というタイトルの書物では次のように明快に論じられている。「ちょうど社会や政治面で生活に影響するような状況について、風刺画が象徴の力を借りてそれを表現し、もしその象徴体系がはっきりしていればその意味を理解できるのと同じように、夢は特定の関心の糸を思いがけない形で並べるのである」。ニコルはその豊富な知識を駆使し、睡眠中におこる無意識の知性活動から自己知識を獲得したり、自分や自分の人生に対する幻想を追い払うことができたと思われる。

プラトンについて – モーリス・ニコル

モーリス・ニコルが重んじていた他の分野としては「新プラトン主義」が知られており、ニコルの心理学的な教えにはプラトンの価値ある洞察が見事にちりばめられている。知識、魂、理想など、プラトンがのこした哲学的な外見をもつ理論は、〈知識〉、〈オクターブ〉、〈高次センター〉など、第四の道の概念のコンテキストから具体面、実践面で理解することができる。第四の道の目的であり、またその顕著な特徴でもある客観的知識と、意識の覚醒と発達という段階的なプロセスを鮮明に示すアナロジーとして、ニコルはプラトンの有名な「洞窟の比喩」をあげている。

ニコルのプラトン思想研究で特徴となるのは、普通であれば抽象的な意味しかない日常生活の言語を、意味のある実用的なワークの言語表現へととりこみ、一つにまとめあげるその力量と明敏さである。

第四の道の人間 – モーリス・ニコル

グルジェフとウスペンスキーが「ずるい人間」の道として説明した第四の道は、ニコルにとって「人生の統合」の道として理解、表現できるものであった。この言いまわしは彼の著作の一つで副題として使われている(『生ける時間 – および人生の統合(Living Time – and the integration of the life)』)。この理念を体現していたのは、実はニコルその人であった。すなわちニコルは、自らの世界とその状況に完全にとり囲まれながらも、その中で能動的に生きつつ、特殊な知識と技巧を使って高次元の現実に完全に目覚めていたのである。それはまさしく、「あなたがたは、この世と妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられよ」(ロマ書第12章2節)という聖パウロの言葉の生ける実例であった。

ニコルはこの言葉 – 第四の道の教え – を理解することによって、「生きながら能動的で」ありつづけ、継続する〈改心〉のプロセスによって自らの新生と再生を体験していった。〈改心〉とは、真の心理的な努力と理解によって触発される意識の進化である。聖書の寓話とは「二つの意味レベルのあいだで変容をおこす装置」である。ニコルの人生そのものが、劇的に異なったこれら二つの次元のギャップを埋める、この手段の力と有効性を示す証であった。その著作で、これら二つの次元は〈現世〉と〈天の御国〉として語られている。

〈今この現在〉について – モーリス・ニコル

ウスペンスキーによる時間論の教えを継承し、またおそらくは数十年後の将来に多くの人々が〈今〉という概念を認めるようになると見越した上で、ニコルは時間という幻想と、生ける現在がもつ永遠性に多大な注意をはらっていた。また、数多くの図表や説明に加えて、現在という瞬間が垂直に交わっている水平面の広がりを〈時間〉として想定し、さらに第六次元、あるいは第三の時間次元として〈現在〉というものビジョンを描きだしていた。詩的に、そしてありのままに、彼はこれを次のように表現している。「我々は〈今〉を感じはじめるために、自分の感覚に取りくまなければならない。我々は、存在というものを独自の仕方で思考している、この〈時間-人間〉を阻止することでのみ、〈今〉を感じることができる。〈今〉は、過ぎゆく時間よりも重要だという感覚によって我々にはいってくる。〈今〉には時間すべて、人生すべて、生の永遠性がふくまれている。〈今〉とは高次空間にたいする感覚である」。

またニコルは「この瞬間、この〈今〉がなければ、すべての人間、それどころか使徒や聖人、あるいは恋人すらも眠っているのだ」と語っている。「立ちあがって、床を取りあげて歩きなさい」という、キリストがハンセン病患者に命じた言葉は、時間における眠りの水平な領域から垂直に浮上してゆくこと、生へと目覚めて上昇すること、またニコル自身がそうであったように、〈今〉という次元における存在者の真に垂直方向の行為、と解釈されている。

第四の道について – モーリス・ニコル

それは第四の道と呼ばれている… その一般的な目的のひとつは東洋の智慧と西洋の科学を一体にすることである。
自らの理解に基づいてワークをすることは、第四の道の優れた特徴の一つである。
この道は〈ずるい人間〉、すなわち知的な人間の道であり、呼吸法のエクセサイズ、儀式、断食、肉体の苦行、機械的な修行などとは比べものにならないほど優れた道である。
第四の道は〈良き世帯主〉のレベルから始まる。すなわち、ある程度までたっした善、いくばくかの〈金〉から出発するのだ。
理解が高まらないような発達、それは第四の道が目指す目的ではない。