主要な欠点について

Gurdjieff-Hercules-Ban

すべての人間はその中心となる性格にある特徴を持っている。これはその周りに彼のあらゆる『偽の人格』が回転する軸のようなものだ。あらゆる人の個人的なワークは、この主要な欠点に対する闘いでなければならない。(ゲオルギイ・グルジェフ、『奇蹟を求めて』 第11章)

主要な欠点について – グルジェフ

グルジェフは、人間心理において中心的な役割を果たす特徴について語っていた。人間の虚偽の現われ全体がその特徴を中心に巡っているというのである。「ある人は話しすぎる。彼は沈黙を守ることを学ばなければならない。しかし、別の者は話すべきときに黙っている」とグルジェフは述べている。この主要な欠点は人それぞれに異なっており、それに対するワークは個人ごとに異なる実践的な努力となる。

あらゆる性格的特徴の根本に主要な特性があるという知識は、良い知らせでもあり悪い知らせでもある。一方では、この知識はある一つの機械的な傾向に焦点を合わせることを示唆しており、私たちは自分の心理を幅広く研究しすぎなくてもよいことになる。つまり、車輪の中心とも言うべきその特徴を制御さえできれば、そこから伸びるすべての心理的なスポークをマスターできる。だがその一方で、この傾向性は心理構造にあまりにも深く根ざしているため、私たちはそれを容易に把握できないとも言えるのである。

人間の盲目的な無知は、この主要な特徴がもつ根本的な性質である。人間が眠りの状態にあるのは、自分の眠りに無知であることからくる。人間は自らの機械的な行動に支配されているのは、それが見えないためである。自らの行動を決定している因子が見えないため、人間は誰か他人から指摘されないかぎり、自己が見えない状態を変えることはできない。

人間は自分の主要な特徴、主要な欠点を自分で見つけることができない。実際上これは法則である。師はこの特徴を彼に指摘し、これに立ち向かう方法を教えなければならない。師以外の誰もこれを行うことはできない。(ゲオルギイ・グルジェフ、『奇蹟を求めて』 第11章)

推測されるグルジェフの源泉

古代ギリシアの智慧

グルジェフ - ヒュドラーを退治するヘーラクレス

ヒュドラーを退治するヘーラクレス

盲点であるこの弱点は様々な文化でいくつかの神話に表現されているが、その最も有名なものは古代の智慧に体現されている。神話に登場する最強の戦士は、人間によるいかなる攻撃にも屈することはなかったが、唯一の弱点のおかげで倒されてしまった。古代ギリシア人はこの最大かつ致命的な弱点、「アキレウスのかかと」という言葉を生み出した。

この原則はさらに、別の重要なギリシア神話「ヘーラクレスとヒュドラー」にも再び登場している。十二の功業の一つとして、へーラクレスは多くの頭をもつ毒蛇ヒュドラーの退治へと向かった。へーラクレスはヒュドラーの頭を一つ切り落とすが、その切り口からは二本の頭が生え出てくる。

グルジェフ - へーラクレスを足止めするヒュドラー

へーラクレスのかかとに尾を巻くヒュドラー

グルジェフは、古代ギリシア人が神話で伝えた知識を体系的に表現している。すなわち、ヒュドラーの体から生じてくる多くの頭は、主要な特徴という車軸から伸びる多くの心理的なスポークを象徴的に反映している。ヒュドラー退治という古代ギリシアの英雄の功業は、自己の克服という英雄的な行為を具現化したものである。

しかし、自己の克服は困難な業であり、多くの場合に私たちは自ら生み出す自己欺瞞の網にからめとられてしまう。17世紀のこの大理石像の断片は、へーラクレスのかかとに尾を巻きつけるヒュドラーを描いている。こうしてヒュドラーは、英雄のすでに困難な状況をさらに窮地へと追い込んでいる。ここでもやはり、勇猛な英雄の力をそぐために襲っている部位は、盲点である主要な弱点である。

へーラクレスの従者は、頭をはねたヒュドラーの首の傷を火で焼きつぶした。その助けでへーラクレスはようやく敵を退治することができた。その火は、怪物の頭が傷口から新たに生えてくるのを防いだのである。すなわち、英雄は根本にある問題に対処しなければならなかった。これはグルジェフが、弟子たちに自分たちの主要な弱点をなんとかして克服するよう教えたのと同じことである。

また言うまでもなく、叙事詩『イーリアス』に登場する英雄アキレウスはへーラクレスとは違った運命をたどった。アキレウスは唯一の弱点によって討ち果たされた。トロイアの王子パリスがそのかかとを矢で射貫いたのである。その矢じりはヒュドラーの猛毒の血に浸されていた。

人は自分の主要な特徴をほとんど見つけることができない。なぜなら、人はそれに浸りきっているからである。もし誰かから自分の主要な特徴を聞いたとしても、通常はそれを信じられないのである。(ピョートル・ウスペンスキー、『第四の道』 第7章)

古代キリスト教の智慧

グルジェフ - 最後の審判

最後の審判で跪くアダムとイブ。
アダムのかかとに噛みつく蛇

もし「主要な特徴」が人間心理でそれほど中心的な役割を果たしているとすれば、秘教的キリスト教の重要な教義にそれが反映されていると推測するのは理にかなっているだろう。果たして、それは事実なのである。人類の始祖たるアダムとイブは、「主要な特徴」の原則とそれがもたらす結果をどちらも具現化している。

人類の始祖という栄誉に輝くアダムとイブはまた、蛇の誘惑に欺されて楽園を失ったという「原罪」をおかしたことでも悪名高い。東方正教会に見られるこの「最後の審判」の描写では、この情景が再現されている。アダムとイブが審判者であるキリストの前に身をかがめ、共におかしたその有名な過ちに赦しを乞うている。

アダムから地下の世界に向けて巨大な蛇が体を伸ばしている。この絵画をインド発祥の盤上遊技「蛇と梯子」にたとえるなら、私たち鑑賞者には、天国に昇るか、それとも地獄へすべり落ちるかという二つの選択肢がある。では、蛇がアダムに噛みつこうとしているのはどの部位だろうか?それは他でもない「かかと」なのである。

私たちの感覚はほとんどが(触感を除いて)頭部に集中している。そのため、かかとは私たちが最も気づきにくい部位にあると言える。それは肉体的な弱点であるが、ここでも「内の如く、外も然り」というヘルメス思想の原理を適用してみよう。この身体的な盲点とそれに対応する心理的な盲点は、古代の神話では並行していることが分かる。ゲオルギイ・グルジェフはそれを「主要な特徴」と呼んでいたのである。

自分の「偽の人格」が巡っている軸の中心が見えないという、この状況はワークにとって大きな不安を招くかもしれない。だが、私たちはこの弱点を強みへと変えることもできる。自らの盲目的な無知を認め、その理解を自己克服の英雄的な道へと進む原動力に変えるのは不可能ではない。

主要な欠点を研究し、それと闘うことがいわばそれぞれの人の個人的な道を形づくるのだが、その目的はすべての人々にとって同じでなければならない。この目的というのは、自分が無であることの自覚である。自分が救いようがなく、無であることを本当に、真摯に確信し、しかもそれを絶えず感じ続けるようになって初めて、人はワークにおける次の、そしてはるかに困難な段階に進む準備ができたと言えるだろう。(ゲオルギイ・グルジェフ、『奇蹟を求めて』 第11章)