ウスペンスキーと第四の道

第四の道」という用語は、ウスペンスキーがゲオルギイ・グルジェフから受けついだ言葉である。「第四の道」という名称が初めて歴史に登場したのは20世紀であるが、実際にそれが指しているのは古代の智慧、すなわち様々な時代に特定の個人たちが実践してきた幅広い伝統である。

過去にそうした伝統に従った人々が自らのワークをいかなる名称で呼んだにせよ、その精神の本質は、グルジェフとウスペンスキーの第四の道と同じであったことだろう。

このシステムが第四の道そのものだとは言えない。第四の道はとても大きなものであり、このシステムはそれに比べればずっと小さなものだ。(ピョートル・ウスペンスキー、『第四の道』)

三つの道について – グルジェフとウスペンスキー

「第四の道」は、その名称から分かるように他に三つの道が存在することを暗示している。グルジェフによれば、それらは「ファキール(苦行僧)の道」、「修道僧の道」、「ヨーギの道」である。これら四つの道はすべて人間の内なる意識を覚醒させるという同じ目的へと導くが、この目的に至るための手段はそれぞれの道で異なっている。

これら伝統的な三つの道は、人間に可能な三つの重心から生じており、「ファキールの道」は運動-本能タイプの人間に、「修道僧の道」は感情タイプの人間に、「ヨーギの道」は知的タイプの人間にそれぞれ対応している。「道」はそれぞれ人間の機能をつかさどる低次センターのどれか一つに焦点を合わせており、それにより意識を生み出すことを目指している。

だが、意識は機能から分離しても成立するため、三つの道がもたらす結果は最終的には同じである。以上が、グルジェフとウスペンスキーが提示した三つの道の理論である。

ただし実践上は、ワークの環境では決して一つの道だけに排他的に焦点を合わせるわけではない。あらゆる教えには、人間の肉体的、感情的、知性的な側面すべてが関わっている。より現実的なレベルから見れば、教えはこれらの三つの道をすべて混ぜ合わせたものであり、その中でどれか一つの道に特に重心をおいている。

第四の道がこれら三つの道から区別される点は、第一に(「信仰」に対して)「確証」の必要性を強調すること、第二に三つの道のバランスをとること、つまり人間の中で三つのセンターを調和させるように努め、人間機械としての「機能」を超えて「意識」へと向けて人間を導くことである。

こうした特徴の指針に沿った教えであれば、歴史上いかなる時点に出現した道でもすべて「第四の道」と見なせると言えるだろう。このことは、システムと第四の道に対するウスペンスキーの見解を伝えている。すなわちウスペンスキーが提示したように、「システム」は古代の伝統である「第四の道」を20世紀にふさわしい形で表現したものであった。

第四の道について – ウスペンスキー

第四の道は一つの進路であるため、書物ではなく体験で理解しなければならない。そのため、グルジェフやウスペンスキーその他の支持者たちが執筆した既存の著作に加えて、第四の道についてここでさらに理論を説明してもさほど役立たないであろう。そうした類の理論的な説明であれば、さまざまな文献や資料を容易に入手できるからである。しかし、これに比べると、むしろ伝統や影響としての第四の道に焦点を当てて述べている文献は決して多くはない。

第四の道を進む生徒にとって、自分がその一部となる、より偉大なる伝統を自覚してゆくことはきわめて重要である。この精神にそって、ウスペンスキーはシステムが通常の人間の手によるものではないことを強調し、また古代における第四の道の伝統のみならず、より偉大なるその起源の重要性についても強調していた。また、もし通常の人間の知性(マインド)がシステムを創案したとすれば、その目的はすぐに挫折してしまうことも強調していた。なぜなら、第四の道の目的とは人間を「超人」へと高めることだからである。

人間の心には超えられない明確な限界がある。自己の限界を超えて人間を高めようと努めるシステムはすべて、人間の限界を超えた世界に由来しなければならない。

第四の道に新しく参入する者は、この「超越」の意味についてさしあたって懸念する必要はない。その意味は、第四の道の修練を進める中でより明らかになっていくからである。しかし、この道をさらに進むには、より偉大なる全体についての知識と気づきが不可欠になってゆく。なぜなら、第四の道はヘルメス・トリスメギストスの有名な格言、「上の如く、下も然り」、「内の如く、外も然り」を土台としているからである。

人間は小宇宙(ミクロコスモス)である。人間の内面で起きる法則と現象は、外界で顕現する法則と現象に一致している。そのため、人間の自己知識は世界についての知識に釣り合って高まってゆくのである。

統一性と存在の複数性について – ウスペンスキー

システムを紹介する際に、ウスペンスキーは「尺度(スケール)」の原理を強調していた。人間と世界( ミクロコスモスとマクロコスモス)は互いを映しだす鏡のような関係にあり、異なっているのはその尺度だけである。そのため、人間は外界の真理を観察することで自己についての真理を知ることができる。

ただし自己知識の獲得は困難であり、その制約から人間は外界にある特定の現象しか観察できず、そうした現象が自分に関係しているとは推測できない。そのため、「上の如く、下も然り」という原則が指し示しているのは、人間が客観的知識へ向かう道だと言えるだろう。

とはいえ、人間は外的な物事について自分が抱く関心に注意を怠ってはならない。理論的な知識を追求して道に迷ってしまうのは容易だからである。そのため、ウスペンスキーは観察についてもう一つの原則を導入していた。それが「相対性」の原理である。ある他の尺度や概念がもつ価値は、それが意識的覚醒という目的に関連する度合いのみに応じて決まってくる。そして尺度が異なる様々な宇宙(コスモス)についての知識は、それが自己知識を高める度合いに応じて有益なものとなる。

ウスペンスキーはこの望ましくない例として現代科学をあげていた。現代科学は相対性の原理を看過し、尺度の異なる世界に制約なく注目し、その視野から人間を見失っている。これに対して現代心理学の誤りはもう一方の極端へと走るものであり、人間とその周囲の宇宙(コスモス)との間にある類似性を無視し、人間の心理的な機能の研究のみにふけっている。

自己知識について – ウスペンスキー

自分についての無知は人間の自然な状態である。そのため意識的な覚醒へと向かう道は自己知識への道と同義語である。「汝自身を知れ」という格言は従来ソクラテスの言葉とされているが、実際にはあらゆる真正な教えの基礎を示している。尺度と相対性の原理によれば、人間は自分自身を知るまでは真の意味で何一つ知ることができない。

ウスペンスキーは自己知識へ向かう二通りの道を示唆していた。その一つの側面は自己観察である。自己観察においては、さまざまな状況で自分を観察し、観察したことを記録し、自分が真にいかなる存在なのか、その客観的な像を示す「写真」としての自己イメージを徐々に収集する必要がある。自己知識のもう一つの側面はシステムの知識であり、この知識なしに自己観察を重ねても、系統的な理解が欠けているため観察は無駄に終わってしまう。

システムは人間の心理学についてきわめて詳細な輪郭を示している。自己に対してワークを行う人間は、自己観察を十分に蓄えた上で、システムが見取り図を示す無数の心理的機能へとその観察内容を分類してゆくことができる。

自己想起について – ウスペンスキー

ただし、上記の努力は「意識」に結びついていなければならない。ウスペンスキーは、この点で「システム」が他のあらゆる心理的な努力とは明確に区別されることに気づいていた。現代心理学とは異なり、このシステムで自分の心理的機能を観察する目的は、人間機械としての機能そのものの研究ではなく、むしろ機能から意識を引き出すことにある。システムの教え全体が指し示しているのはこの点であり、法則と現象の研究全体は「意識」の生成に向ける必要がある。

「眠り」の状態にある通常の人間は、本来の意味における意識を持たない。人間は、意図的で一貫した努力によって初めて目覚め、意識的になる。「自己想起」とは、意識的であるための明確な努力である。ワークにおいては、あらゆる瞬間と状況に自己想起することが求められる。それは、一瞬前に自分が足を踏み入れていた何らかの空想の世界から脱出し、今この瞬間の現実に戻ってくる努力である。

ウスペンスキーは、自己想起を両端に矢じりのついた矢に喩えていた。自己想起の状態では、たとえば自分が見ている対象と、それを見ている自分自身とに注意力が同時に向けられる。これは「注意の分割」と呼ばれている。自己想起とは、瞬間的に心の内部を立て直すことであり、瞬間ごとに心理的な機能から「意識」を引き出すことである。

グルジェフが初めてこの概念を紹介した際、ウスペンスキーは即座にそれがシステムの他のあらゆる概念よりも重要であると直感していた。その後、ウスペンスキーは、他の生徒たちが自己想起を正しく重視できず、またワークに関わりのない人々が自己想起を軽視するという事実に驚かされた。多くの場合、こうした人々は自分がすでに自己想起しているという口実をこしらえていたのである。

宇宙における人間の位置について – ウスペンスキー

ウスペンスキーは、人間のスピリチュアルな進化は一種の有用品であるという観点を強調していた。進化が可能となるのは、それが高次の宇宙(コスモス)にとって有益な場合に限られる。

より大きな観点から見た宇宙の図式では、下方へと向かう成長の運動が存在している。それはたとえば果てしない宇宙の膨張であり、無数の太陽から惑星が生じ、その惑星からは衛星として月が生じてゆく。この機械的な「広い道」と並んで、流れに逆らって上方へと向かう「狭い道」が存在している。これは意識への道であり、スピリチュアルな進化がなぜこれほど稀でかつ困難なのか、その理由を示している。

ウスペンスキーは覚醒の難しさと課題についてたびたび強調していた。ウスペンスキーは、道を進むときに出会う多くの落とし穴について繰り返しその要点を指摘し、生徒の多くがそうした落とし穴につまづくのを目にしていた。だが、目標の重要性とその報酬の大きさを視野に入れながら、ウスペンスキーは第四の道にそって独自の道を歩み続け、彼に従う意思のある人々を触発し、指導することに最善を尽くしたのである。