ウスペンスキーと古代の智慧

Gurdjieff-sand-footsteps

秘教について – ウスペンスキー

「秘教(エソテリシズム)」とは、「特殊な知識または関心をもつ少数の人々のみを対象としたもの、あるいはそうした人々だけが理解できるもの」と定義されている。若き日のウスペンスキーによる秘教への接近は、「真理」、「客観的真理」、「自己知識」、「自己開発」が万人向けではないと彼が認めていたことを示している。秘教は、必ずしも人類全体が進化、向上するわけではないことを暗示している。むしろ、あたかも植物の種子のように、大多数の人々が潜在能力を全く開発させずに塵へと帰してゆくのであり、萌芽の可能性を残すのはほんのわずかな人々に限られている。

これはあることを暗示している。すなわち、人類の歴史がたどる一般的な進路に沿って、少数の人々しか知らないが最も重要な目的を果たしている、もう一つのストーリーが進行してきたのである。この「秘教的」な歴史は、現在と密接に結びついており、スクールが有する古代の智慧を保存する役目、そして現代に活用できる人々にその智慧をもたらす役目を果たしてきた。これについてウスペンスキーは次のように述べている。

互いに関連のない一連の出来事として通常の仕方で歴史を眺めても、秘教が存在する証拠は見つからないだろう。歴史では、出来事が次々と表面に現れるだけで、それらの間に関連性を見てとることはできない。しかし、物事が互いにつながっていることを理解してそのつながりを探せば、歴史の表舞台の陰にそれらが隠されていることが判明するのである。(ピョートル・ウスペンスキー、『第四の道』)

古代の智慧を探求したウスペンスキー

グルジェフ第四の道に出会うまで、ウスペンスキーは真理の断片を必死に探し求めて外国を旅行していた。ウスペンスキーは、自分が何を探しているのかを完全には把握していなかった。だが、探している真理とは異なるものを識別する鋭い直感に導かれた彼は、個人との直接の接触という形でその真理を受けとる必要性に気づいていた。しかもウスペンスキーは、秘教に対する自らの感覚に導かれつつ、そのような「真理」が通常の知識ではありえず、それゆえ学術的な団体や知名度の高い心理学者、哲学者といった、通常の思想サークルには見つかりようもないことを理解していた。

歴史上の変革について – ウスペンスキー

たとえば、多くの歴史上の変革は表面上何もないところから突然始まり、それに先立つ事情も起源も存在しないことが分かる… これと同じように、ゴシック様式の芸術は一見してどこからともなく発生したように見える。そこには先立つ歴史がなく、瞬く間に出現したのである。(ピョートル・ウスペンスキー、『第四の道』)
ウスペンスキー-ゴシック

ノートルダム寺院、フランス

ウスペンスキーは、一般的に知られている歴史と並んで、秘教的な歴史の経路が存在していたと推測していた。高度な文明の出現と消滅はこれによって説明できると考えたのである。ウスペンスキーは、ヨーロッパ中世の暗黒時代から登場したキリスト教の流れとしてゴシックのスクールをその例にあげていた。ウスペンスキーにとって、ゴシック建築の大聖堂は、キリスト教信者に礼拝の場を与える場所というよりは、むしろ古代の智慧を細心の注意で保管する場所だと考えられていた。

だが、ウスペンスキーは、実際にゴシック大聖堂の前に立ったとしても、自分がこの智慧に接触できないことを理解していた。文献を読むことと、その内容を理解することは別の問題だったのである。そのため秘教に見られるもう一つの原則は「排他性」であった。つまり、個人の代行者による助けによって長く伝えられてきた古代の智慧に近づけるのは、同様の目的をもち、準備を整えた個人だけなのである。

 有史以前について – ウスペンスキー

有史以前の芸術において、つまり一万年以上も前に存在していたすべての芸術においても、たとえばギザの大スフィンクスについて説明できるものは表面上何一つ見当たらない。大スフィンクスはその構想においてより壮大であり、またより高次のレベルに達している。いわば、私たちが知っているいかなるものよりも「独創的」である(これはぴったりとした言葉ではないが)。一体、誰がそれを築いたのであろうか?なぜ、そうした芸術が砂漠の中にあるのだろうか?(ピョートル・ウスペンスキー、『第四の道』)
ウスペンスキー-ギザ

ギザの大ピラミッド、エジプト

結局のところ、歴史の光が届くのはきわめて限られた範囲でしかない。歴史はその定義上、歴史的な文献の出現から始まって現在という時点で終わっている。このため人類の歴史はたかだか五千年の長さということになり、それ以前の時期はすべて「有史以前」というカテゴリーで扱われている。

ウスペンスキーは、大スフィンクスなど有史以前のいくつかの芸術がそれ以降の芸術よりも構想が壮大でより高次のレベルに達しており、しかもより知的に優れているという、好奇心を喚起する事実に気づいていた。秘教という観点から見れば、歴史の全体像は一般的な歴史とは正反対のものとなる。つまり、人類全体はその誕生以来退行を続けているのであり、量としては増大しながらも質の面では低下している。その一方で、スクールの秘教的な遺産は、ますますその表現形態を蓄積していくことで増え続けてきたのである。

文献およびその内的意味について – ウスペンスキー

私たちは、偉大なインドの詩や新約聖書など、私たちが知るいかなるものより高次のレベルに達した文献を見つけることができる。こうした文献に匹敵しうるものはなく、通常の理論はこうした文献について一切説明できない。— これらの文献は全く他に類を見ないのである。もしこうした文献を個別に解釈し、しかも内的意味がそこにないと仮定してしまえば、それらを説明することはできない。だが心理学的方法を試みれば、それらの文献の間にはつながりが見い出せるのである。(ピョートル・ウスペンスキー、『第四の道』)
ウスペンスキー-セイロン

セイロンを旅行するウスペンスキー

秘教においてもやはり「内的意味」が前提とされている。つまり、古代の智慧が太古から存続してきたのは、さまざまなレベルで理解が可能だというその美点のおかげであった。たとえば、世代から世代へと保存されてゆく見込みがあるのは、大多数の人々に語りかける一方で、少数の人々にのみ隠された意味を伝えるような古代の文献に限られてくる。

聖書はまさしくこのカテゴリーに入る文献である。最も外的で明確に識別できるレベルでは、聖書は国家間の闘争と、その民族と神との関係を示す歴史的文書として読むことができる。さらに深いレベルでは、聖書は歴史的な出来事を隠喩として使って人間の智慧を示しており、論理では伝達不能な内容を神話の形式で教えている。また、さらに深いレベルの聖書は、天国、地上、地獄を自らの内面に抱える小宇宙(ミクロコスモス)としての人間について、詳細な心理学的説明を示す文献なのである。

隠された知識の発見について – ウスペンスキー

しかし、そうした隠された知識への扉を開く鍵はかたく守られている。その理由の一つとして、その知識は人々が最も疑いを抱かない盲点としての場所、すなわち「人間の目の前」に隠されているのである。「隠された知識」は、既に自分がそれを理解していると見なす人々の幻想によって守られており、また人々にそれを理解する準備がないという事実によって守られている。

ウスペンスキーが試みた旅行でただ一つはっきりとした点があった。それは、覚醒した個人に接触する必要性の理解であった。ウスペンスキーは、そうした接触が起こるまでは自分の探求が無益な知的考察にすぎないことを悟った。その一方で、いったんスクールと接触しさえすれば、莫大な古代の智慧が眼前に繰り拡げられ、人はスピリチュアルな進化のためにその智慧を使えるようになるはずであった。

生の中には知識の集積庫がある。歴史のある期間に、特定の知識が収集されてそこに保管されていた。そのような集積庫が見つかれば、知識を手に入れることができる。では、これらの集積庫とは一体何であろうか?その答えとはスクールである。しかも今はもう存在していない、いにしえのスクールですらその集積庫なのである。(ピョートル・ウスペンスキー、『第四の道』)