このワークが初めての方へ

これを「ワーク」と呼ぶ理由

この修練あるいは実践はワークと呼ばれています。その理由について理解するために、まずはこのビデオをご覧ください。(再生ボタンを押してから、画面下部のメニューで日本語字幕を選択してください)
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注意力の度合い

一日の活動における私たちの注意力にはさまざまな度合いがあります。衣服の着用や食事、友人や家族とのやりとりなど、私たちの大半の活動に必要な注意力は最低限のレベルにすぎません。しかし当然ながら、読書や電子メールの作成、就職の面接など、より高い注意力が必要になる活動もあります。

以上の第一のタイプの活動に求められる注意力は最低限のものにすぎず、他のことを同時にしながらでも行うことができます。たとえば、電話をかけながら服を着たり、友人と歓談しながら食事をしたり、テキストメッセージで通信しながら周りの人々とやりとりするのは不可能ではありません。ところが、より高い注意力が求められる第二のタイプの活動を他の活動と同時にすれば、その結果は必ずおろそかになることでしょう。たとえば、電話をしながら読書したり、友人と話しながら重要なメールを作成したり、携帯機器でテキストを入力しながら面接を受けるのはきわめて困難なのです。

我々が機能する際の注意力には
さまざまな度合いがある

注意力と意志

私たちの注意力は意志に従っています。もしそう望むなら、私たちはあらゆる行動をより注意深く行うことができます。たとえば、入念に正装したり、衣服の布地の感触を感じとったり、シャツの色をスラックスや靴に合わせることが可能であり、また細やかな心づかいで食事をしたり、食べ物や飲料を一口ごとに十分味わうこともできます。

しかし、最も単純な活動に必要な注意力にさまざまな度合いがあるという事実を確かめる上で、必ずしもある分野の専門家になる必要はありません。このことから、次の点が明らかになります。

我々の注意力は
意志の影響を受けている

無頓着に服を着るだけなら努力は不要ですが、意図的に服を着るには努力が必要です。ぼんやりと食事するだけなら努力は不要だが、食事を深く味わうには努力が必要です。つまり、意志によって注意力を導くには努力が必要です。このことは、グルジェフがその自己開発の手法をワークと呼んでいた理由を示しています。

注意力と意識

Gurdjieff-ThumbnailGurdjieff-Peter Ouspensky Thumbnailただし、注意力を導くことがワークの最終目的だというわけではありません。注意力を導くことは、意識的になるための一つの手段にすぎないからです。意識と注意力とをはっきり区別している教えはごくわずかであり、第四の道は、まさにこの点でその他多くのシステムと異なっていると言えます。ワークとは単に注意力を高めるだけでなく、その要点は意識的になることにあります。そして意識とは〈自己への気づき〉なのです(自己意識)。

普通の意識状態で何かに「気づく」とき、当然ながら人は自分が「意識的であり」、「目覚めている」と信じています。ところが上のビデオで示したように、いかに集中した状態であれ「対象への気づき」しかない状態では、注意力は一方向にしか向かわず、対象と自己を同一視した「自己同一化」の状態に容易に陥ってしまいます。グルジェフは、この自己同一化を「眠り」の意識状態の特徴の一つとしていました。高次の意識は、少なくとも「対象」と「自己」への二方向の気づきを同時に生じさせるワークから始まります。

ゲオルギイ・グルジェフはこれを〈自己想起〉と呼び、ピョートル・ウスペンスキーはこれを〈注意力の分割〉と呼んでいました。さらにここ近年では、〈プレゼンス(今この現在に在る)〉という呼び方も一般に使われるようになりつつあります。しかし、この状態をいかなる名称で呼ぼうとも、「気づき」と「意識」とを区別しないかぎり、意識的になる努力は不十分な結果しかもたらさないことでしょう。当サイトでは、さまざまな年齢、文化あるいは職業の背景をもつ投稿者をまねいて、意識的になる努力をする際の成功例と失敗例を示すよう求めています。ggurdjieff.jpの土台となっているのは、こうした執筆者による投稿記事なのです。


現在、最近の投稿記事で紹介していた ”Be” ピラミッドの概念に基づいて、第四の道のシステムを新しいスタイルで提示しています。beperiod.com/jp サイトでは アサフ・ブレーバーマンが制作した ”Be” ピラミッドの入門動画を毎週アップしています(入門動画のアーカイブこちらをクリック)。動画配信の通知メールの無料受信をお申し込みください。個人情報保護に関する方針についてはこちらをご覧ください

ここにいるのは「存在できるようになる」という
ただ一つの目的を追求する者だけである。(ゲオルギイ・グルジェフ)